「バリスタという生き方」——西谷恭兵の現在地とこれから

45歳。これからもずっと、お客様の前に立ち、自分の手でコーヒーを淹れ続けたい——。
独自の接客哲学と圧倒的な仕事への情熱で、多くのファンを惹きつけてきた西谷恭兵さん。バリスタとは何か?自分の“やりたいこと”とは何か?その問いと向き合い続けてきた軌跡を、全7回にわたってお届けします。
技術や経験を超えて、信念と誠実さで仕事をする姿勢に、きっと何かを感じ取ってもらえるはずです。


Part 1:24歳でJBC準優勝、そして世界へ──はじまりの物語

蔵前「コーヒーカウンターニシヤ」オーナーバリスタ、西谷恭兵さん。
JBC黎明期に準優勝を果たし、国内初の“Coffee in Good Spirits”世界大会出場者となった彼が、競技会とは異なる視点から、バリスタの在り方と自身の歩みを語ります。

■ JBC第3回大会で準優勝──24歳で掴んだ転機

2004年、当時24歳でJBC初出場。修行開始からわずか1年という短い経験ながら、準優勝という快挙を成し遂げました。
その後「ニュースター」として注目され、彼が出場して以降、応募者が急増。JBC黎明期を支えたひとりとして、業界に与えた影響は大きいものでした。

■ 世界大会へ──日本初、“Good Spirits”への挑戦

「Coffee in Good Spirits」の世界大会に、日本代表として最初に出場したのも西谷さんでした。
オフィシャル化前のプレ大会での模擬競技に招待され、正式なルールに則ったパフォーマンスを披露。そのクオリティが認められ、「この人を世界に送ろう」と国内から後押しされ、韓国で開催された世界大会に派遣されます。

BGMが鳴らないというトラブルに見舞われながらも、冷静に演技をこなし、貴重な国際経験を積んだ彼の話からは、当時のリアルな舞台裏が伝わってきます。

■ コーヒーハウス、そして“カウンター”という選択

現在の「コーヒーカウンター西谷」以前に手がけていた“話題の店舗”の存在、そしてそこから現在のスタイルに至るまでの過程も本インタビューで明かされています。

「バール文化は日本に根付かない」と語りながらも、あえて“カウンター”という場にこだわる理由。
それは、競技者ではない自分だからこそ見えてきた、コーヒーと人との関係性にあります。


【Part2】カウンターの原点、生き方としての“バリスタ”の始まり

JBC出場、世界大会への挑戦といった華やかなキャリアの裏にある“原点”と“10年の修行時代”を、本人の言葉でたっぷりと振り返ります。

■ 幼い頃から“カウンターの上”にいた少年

西谷さんが生まれたのは、ご両親がスナックを開業したその日。生まれてすぐカウンターの上に寝かされ、物心つく前から“接客の現場”で育った特異な環境が、現在の接客スタイルや立ち姿の原点となっています。

高校では全国大会に出場するほどのバスケットプレイヤーとして活躍。引退と同時に父親から「中に入れ」と言われ、接客業の本質を“カウンターの中”から学び始めたといいます。

■ 夢はパティシエ──しかし料理人の道を断念

子どもの頃からの夢はパティシエ。その夢を叶えるべく調理学校に進学し、老舗洋菓子店「モンブラン」で修行するも、体質の問題により製菓・調理業からの撤退を余儀なくされます。

その後、フレンチレストランでサービスを担当する中で、人生を変える「バリスタ」という職業に出会います。そこからコーヒーの道を歩み始めた西谷さん。カフェスイーツ誌の特集で出会った“イタリアンバール”への憧れが、その歩みを加速させていきます。

■ “2002年のある雑誌”が、未来を変えた

事務所で偶然目にした雑誌『カフェ・スイーツ』。イタリアのバール文化を取り上げたその特集に心を打たれ、「この人たちに会いたい」と思った西谷さんは、実際にイタリア・フィレンツェへ渡航。当時の記事を持参し、掲載されたバールのバリスタに直接会いに行ったというエピソードは圧巻です。

その1年後にはFMIが主催するバリスタセミナーに参加。「これをやりたい」と確信し、本格的にバリスタの道へ進みました。

■ “10年後に開業する”と決めていた

ロブスタ配合のブレンドと持ち前のサービススキルを武器にJBC準優勝を果たすも、その場で開業には至らず。「10年後に自分の店を開く」と心に決め、メーカー勤務や店舗指導など、多彩な経験を積んでいきます。

2013年、ついに独立を果たし、渋谷に開業したのが「コーヒーハウスニシヤ」。1日150人以上が訪れる大ヒット店となりましたが、そこに至るまでは緻密に計画された修行と、自身との約束がありました。

■ バールを模倣せず、“街にフィットする空間”を目指して

イタリアンバールに憧れながらも、「型にハマりすぎた店にはしたくなかった」と語る西谷さん。その理由は、「文化を模倣すると、その文化を好む人だけが集まりすぎてしまうから」。

彼が目指したのは、バールでもカフェでもない、“街の中に自然と存在するカウンター”。それは、まさにスナックのカウンターで育ち、接客と会話の本質を体得した彼だからこそ築ける空間です。


【Part3】なぜドリップではなく“エスプレッソ”なのか──所作に宿る哲学と敬意

今回のインタビューでは、“ドリップをやらず、エスプレッソにこだわる理由”や、“提供の所作に込める想い”について深く語っていただきました。

■ ドリップをやらない理由は、“職人”と“商売人”の視点

「手元の温度やスピード、呼吸まで管理できてこそプロだと思う」
西谷さんは、そう語りながらエスプレッソという抽出方法に強い信念を抱いています。

その理由は2つ。ひとつは、技術の蓄積が表れる“職人的な仕事”であること。そしてもうひとつは、再現性が高く効率的で、“商売として成立する”からこそ、長く続けられる手段であること。

目の前のお客様に、最小限の動きで最大限の満足を提供する。それは、現場経験に裏打ちされた、極めて実践的かつ戦略的な選択です。

■ イタリア文化の再現ではなく、“敬意”としての演出

カップ&ソーサー、ティースプーンの配置、角砂糖の有無──
一つひとつの所作にこだわる理由は、「文化を伝える役割としての責任」があるから。

とくに象徴的なのが、23年間続けている“カプチーノにココアパウダーをかける”演出。味というよりも、視覚的なインパクトを伝えるための工夫であり、日本でイタリアンエスプレッソ文化を正しく伝えるための“ツール”なのです。

■ “変わらないこと”に、美しさがある

西谷さんは語ります。「変化が尊ばれる今だからこそ、“変わらないこと”の美しさに価値がある」と。

イタリアのバール文化には、“変えないことで伝わる安心感”が根付いており、それを継承するのもまたバリスタの役割であると信じています。
お客様の目線、手の動き、会話の余白──そのすべてを読み取ってサービスを届ける姿勢は、まさに“所作の芸術”とも言えるレベルです。


【Part4】再現性こそ信頼──“定番”を磨き上げるクラフトマンシップ

今回は“夏の定番”ともいえる人気ドリンク「エスプレッソトニック」について、そのこだわりと提供の裏側を語っていただきました。

■ 一杯のエスプレッソトニックに込めた緻密な設計

西谷さんが「清涼感を最大限に引き出すには“トニックウォーターを使い切ること”が絶対条件」と語るように、エスプレッソトニックの設計には、繊細なバランスと論理が詰まっています。

トニックウォーターは190mlの小瓶を1杯ごとに使い切ること。ペットボトルや大容量ボトルでは、炭酸の抜けによって味が変化しやすく、再現性が損なわれてしまう──そんな視点から導かれた選択は、クラフトマンとしての誠実さを感じさせます。

■ 飲み方までデザインされた、五感で楽しむドリンク

「混ぜずにそのままどうぞ」と提供されるエスプレッソトニック。
最初に感じるのはエスプレッソのコクと滑らかさ。次第にトニックウォーターの爽快感が混ざり合い、最後にはスッキリとした後味で終わる──まるでストーリーのような味わいが体験できます。

西谷さんが重視するのは、「完成の瞬間をお客様の目の前で見せること」。高揚感や期待感までデザインされた一杯は、まさに“カウンターで生まれる体験”そのものです。


【Part5】素材と技術の交差点──“シェイク”に宿るスペシャルティの精神

今回のテーマは、子どもから大人まで幅広く愛される看板メニュー「いちごのシェイク」。そこに込めた素材選び・構築力・価格設定まで、西谷さんのクラフトマンシップが詰まった一杯の舞台裏を深掘りします。

■ 苺が苦手だったバリスタが“虜”になった、徳島のベリー

「実はフレッシュのいちごが苦手だった」と語る西谷さん。しかし、徳島県鳴門市の農家を訪問した際に出会った「うずしおベリー」という苺は、その概念を覆す美味しさだったといいます。

収穫後すぐに冷凍されたベリーを使用することで、年間を通じた安定供給と品質保持を実現。「スペシャルティとは、生産者へのリスペクトに始まり、最適な状態で届けること」という信念が、ここにも息づいています。

■ 1g単位の精度と90秒のスピード、職人の設計美

「私、普段は計量しないんです。でもシェイクだけは例外」と語る西谷さん。バニラアイス、ミルク、シロップ、冷凍いちご。それらをブレンダーで60秒回し、30秒で仕上げる。全工程90秒以内という明確な基準は、再現性と効率の両立を目指した設計思想の結晶です。

甘さや酸味のブレを調整するために加えるフレーバーシロップも、素材を活かすための「引き算の思考」から導き出されたもの。味わいとテクスチャーの緻密なバランスが、何度飲んでも安心できる“定番”を支えています。

■ “映えるメニュー”の役割──デザインと顧客体験の調和

シェイクは単に味覚の満足だけでなく、メニュー全体のビジュアルを引き締めるアクセントでもあります。
「茶と白だけのメニューに、ピンクやオレンジが入ることで全体が引き立つ」と話す西谷さん。これは、パティシエ経験や空間デザインへの感度が活かされた工夫でもあります。

また、子ども連れの家族にとって、コーヒーだけでなく楽しめる選択肢があることも「街のカウンター」であるための条件の一つ。大人のためだけではない、全世代の居場所としてのバランスが見えてきます。

■ 価格設定にも宿る、他業種視点と生活感覚

「ラーメン一杯の満足度と比べたとき、うちのシェイクに800円という価格がどう見えるかを意識している」と語る西谷さん。その価格感覚は、飲料業界にとどまらず、外食全体の市場感覚を俯瞰した視点に基づいています。

高品質素材と職人技を背景にしつつも、あくまで「日常の贅沢」として提供したい──その想いが価格設定にも表れており、カフェ運営者としてのリアリティを感じさせます。


【Part6】“売れすぎた”カフェが閉店した理由──「コーヒーハウスニシヤ」閉店の舞台裏

今回は、コーヒー以外の側面──スイーツへのこだわりと、かつて渋谷で一世を風靡した「コーヒーハウスニシヤ」閉店の真相に迫ります。

■ プリンブームの火付け役──“500日プリン”が生まれた理由

西谷さんが独立後に初めて手がけたスイーツ、それが「カスタードプリン」。もともとは“1度の仕込みで数が取れ、保存が効く”というビジネス的合理性から選ばれたものでしたが、味へのこだわりは職人そのもの。火入れ加減、口当たり、盛り付けの美しさまで細部にわたる設計で、瞬く間に名物商品となりました。

プリンを目当てに来店し、売り切れに落胆するお客様が続出する中でも「これ以上は作らない」と語る西谷さん。その背景には、“カフェの本質”を見失わないための軸がありました。

■ 伝説のチーズケーキと“19歳のレシピ帳”

もう一つの人気メニューが、グラス仕立てのレアチーズケーキ。フルーツのマーマレード、クランブルの食感、クリームチーズの濃厚さが層を成す一品は、見た目も美しく、奥行きある味わい。

このレシピの原点は、パティシエ時代──19歳の頃に書いたレシピ帳にあります。そこにはモンブラン洋菓子店での経験や、当時の味覚記憶が詰まっており、チーズケーキの味わいには、西谷さんの原点と進化が同居しています。

■ なぜ「コーヒーハウスニシヤ」は閉店したのか?

渋谷で連日行列ができ、SNSでも話題となった「コーヒーハウスニシヤ」。
その店が2021年11月、惜しまれながらも閉店を発表しました。

「売れすぎて、自分がやりたい接客ができなくなった」「何のために営業しているのかわからなくなった」──理由は意外にも“成功の重み”でした。

誰よりもお客様と向き合うことを大切にしていた西谷さんにとって、それが叶わない状態は本意ではなかった。「一人ひとりに向き合いたい」──その思いを取り戻すための決断が、閉店だったのです。

■ 今なお続く、飽くなきクラフトへの探究心

ドリンクからスイーツまで、すべてを自身の手で作る西谷さん。
そのこだわりは、“味の再現性”と“誰にでも届くおいしさ”の両立にあります。

パティシエの経験から学んだ「1g・1秒単位の精度」と、バリスタとして培った「空間と人への意識」が交差するそのスタイルは、これからのカフェの在り方に一つのヒントを与えてくれます。


Part7|“やめる勇気”と“つづける理由”──西谷恭兵の仕事哲学

人気店「コーヒーハウスニシヤ」の閉店、そして再出発。その背景には、単なるビジネス上の判断を超えた、バリスタ・西谷恭兵さんの“仕事観”と“誠実さ”があった。お客様一人ひとりと向き合う接客、理想を貫くことの難しさ、そして現場主義の哲学。Part7では、「やめること」と「続けること」の狭間で揺れながらも、自分自身の信念に立ち返った西谷さんの覚悟に迫る。

■「やめたい」と思った5周年、その理由

渋谷で8年3ヶ月続いた「コーヒーハウスニシヤ」。実は5周年を迎える頃には、「このままでは続けられない」と感じていたという。体力的な負担や病気もあったが、最大の理由は「自分が満足のいく仕事ができなくなったこと」だった。

■“削ぎ落とされる理想”と“サービスマンとしての矜持”

営業時間の短縮、メニューの削減。多くの来店客に応える中で、理想としていたサービスの形が少しずつ削られていく。「営業時間を削る=その時間に来ていたお客様を捨てること」。それは西谷さんにとって大きな葛藤だった。「私たちはバリスタである以前に、サービスマンなんです」という言葉に、その苦悩と誠意が詰まっている。

■誰にも譲らない“現場主義”の理由

西谷さんは「コーヒーを自分で淹れること」を徹底してきた。従業員にも抽出は任せず、すべて自らの手で提供してきた理由は、「自分が最も良い品質で提供できるから」。その信念があるからこそ、効率化や委任といった選択肢も取らず、「西谷という屋号である限り、全てのお客様を自分で接客する」と語る。

■“セミナー”に込めたサービスの哲学

西谷さんが開催するセミナーは、抽出技術のレクチャーではない。お客様がなぜそのタイミングでそのドリンクを求めているのか、相手の背景や状況を観察し、対応を考える──そんな“川下から考える接客”を伝えている。コーヒーを「測る」のではなく、「イメージする」ことを大切にしている点も印象的だ。

■“サービス業界で働く”という自覚と未来への希望

「自分はコーヒー職人である前に、サービスマンでありたい」と語る西谷さん。その考えは、日々の接客にも、セミナーにも、そしてこれからのキャリアにも貫かれている。将来的には“白髪のバリスタ”としてマシンの前に立ち続けたいというビジョンを語る姿からは、「変わらない信念」がにじんでいた。

■これからバリスタを目指す人へ

最後に、西谷さんはこれから業界を目指す若い世代へのメッセージとして、「自分がどんなバリスタになりたいのか、イメージを持ってほしい」と語る。そのためにも、コーヒー業界だけでなく、外食産業全体の経験を通じて、世界観を広げてほしいとエールを送った。

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