TETSU KASUYA × COUZOU──世界一のバリスタが語る、バリスタの現在と未来

2016年、アジア人として初めてワールドブリュワーズカップ(WBrC)で優勝を果たし、世界の頂点に立ったバリスタ・粕谷哲さん。
彼の名を冠した「46メソッド」は、誰でも美味しく淹れられるレシピとして世界中で広まりました。

本シリーズでは、粕谷さんがコーヒーを始めてわずか3年で世界チャンピオンになった経緯や、Philocoffeaの経営、コンビニコーヒーの監修の話など業界で幅広く活躍されている粕谷さん、阪本さんのお二人ならではの盛沢山のトーク内容、5回にわたるインタビューで丁寧に掘り下げていきます。

スペシャルティコーヒーに携わるすべての人に届けたい、濃密な言葉の数々。
その一杯に込められた“哲学”が、きっとあなたの中の何かを揺さぶるはずです。


【Part1】世界一のブリューワーが語る、原点と挑戦のはじまり

スペシャルティコーヒーの先駆者として国内外で注目を集める「Philocoffea(フィロコフィア)」代表・粕谷哲さん。2016年にワールドブリューワーズカップでアジア人初の優勝を果たし、その名を世界に轟かせた彼が、自身の出発点、そして競技にかけた思いを語ってくれました。

■ 生産地との出会いが変えた「バリスタ観」

「最初は“かっこいい職業”だと思っていただけだった」と振り返る粕谷さん。しかし、バリスタとして働き始めて間もなく訪れた中南米──グアテマラとホンジュラスでの生産地体験が、すべてを変えました。

収穫や精製に携わる人々の努力と創意工夫、そして一粒の豆の裏側にあるストーリー。それらに触れたことで、「この背景を、広く正しく伝える存在になりたい」と本気で思うようになったと言います。

■ 「日本一になれば、伝えられる」

そう考えた粕谷さんは、バリスタチャンピオンシップやエアロプレス選手権、そしてブリューワーズカップなど、さまざまな競技に挑戦します。はじめて出場したJBCでは88位と苦戦したものの、その後の努力と学びが彼を成長させていきました。

世界大会に挑戦する際にコーチを依頼したのは阪本義治。主にエスプレッソのバリスタのコーチングを得意とする阪本氏に、「抽出技術ではなく、論理でサポートしてほしい」と依頼。ルールに基づいたカップ評価を通じて、世界基準を体得する過程が語られます。

■ 世界を知ることで、見えてきたもの

当時のWBrCチャンピオンであるギリシャのステファノスや、入賞経験を持つチャドらのコーヒーを実際に味わった阪本。「一点の曇りもない、透明感ある液体に衝撃を受けた」と語ります。

そこから自身のレシピや豆選びも大胆に見直し、やがて世界一の味へと進化していきました。

■ 今も最前線でアップデートを続ける

「世界一になって終わりではない」と語る粕谷さんは、現在も日本・台湾など複数のチャンピオンをコーチングし、ブリューワーズカップの舞台へ送り出しています。その姿勢は「情報を更新し続けることで、選手たちと同じ目線に立ちたい」という純粋な探究心に根ざしています。


【Part2】人生を変えた一杯──“偶然”が導いたコーヒーとの出会い

Part2では、彼がなぜコーヒーの世界に足を踏み入れたのか──その出会いと背景が明かされます。医療の道を夢見ていた学生時代、ITコンサルとして忙しく働いていた社会人時代、そして“ある出来事”によって人生が大きく転換していく様子が、率直な言葉で語られます。

■ 競馬一家に生まれた少年が、医師を目指した理由

粕谷さんの出身は、茨城県の美浦トレーニングセンター。家族は競馬関係者として働く中、彼は「朝が早すぎて無理」と感じてまったく異なる進路へ。目指したのは医者や学者といった“知で人を支える”道でした。

やがてIT系コンサルタントとして順調にキャリアを積む中で、ある日突然「1型糖尿病」を発症。急な入院と診断により、生活は一変します。

■ 病室で出会った、最初の「まずい一杯」

「糖尿病だから、甘いものはもう飲めない。じゃあ何を飲もう?」──その問いからたどり着いたのが、コーヒーでした。
入院中、近くのサザコーヒーで器具一式を揃え、病室で初めて自分で淹れた一杯は「とんでもなくまずかった」と言います。

けれどもそれが、彼の中で火をつけました。「言われた通りにやったのに、なんでできない?」
それまで何をやっても器用にこなしてきた粕谷さんにとって、うまくいかない経験こそが“面白さ”の入り口になったのです。

■ 「死ぬときに、何をしていたいか」

入院生活の裏には、東日本大震災後の復興ボランティア経験もありました。泥かきや瓦礫撤去を通して感じた“人生の有限性”。
そして、自身が一型糖尿病を発症したことで「人はある日突然、人生が変わる」という現実を突きつけられた粕谷さんは、「死ぬときに後悔しない人生を送りたい」と強く願うようになります。

■ イギリスに住みたい。そのために、バリスタになろう

実は粕谷さんがバリスタになった動機は「コーヒーのプロになりたかった」からではありません。
中学生の頃から夢だった「イギリスに住む」こと。その夢を叶えるためのスキルとして、当時趣味でハマっていたコーヒーを選びました。

ITコンサルを退職し、ワーキングホリデー抽選までの“つなぎ”として入社したのが「コーヒーファクトリー」。その後、生産地訪問を機に、「この仕事を本気でやりたい」と思うようになり、競技の道へと進んでいきます。


【Part3】特別な一杯を、すべての人へ──“TOMODACHI”と広がるコーヒーの可能性

世界チャンピオンとしてのキャリアを経て、自らのブランド「Philocoffea(フィロコフィア)」を立ち上げた粕谷さん。Part3では、開業のきっかけやフィロコフィアに込めた理念、そして国内外での展開と未来の展望が語られます。キーワードは「誰にでも届く特別なコーヒー」──。粕谷さんの原動力が、言葉の端々から伝わってきます。

■ 「一部の人」ではなく「すべての人」に届けたい

フィロコフィアは、「スペシャルティコーヒーを一部の人に届けるブランドではなく、もっと多くの人に届けられる会社を作りたい」という思いから誕生しました。通販やカフェ運営はもちろん、スーパーマーケットへの展開やコンビニとの共同開発など、これまでの常識にとらわれないアプローチを積極的に実践しています。

その背景には、「自分がコーヒーに救われたからこそ、より多くの人にその魅力を伝えたい」という、粕谷さん自身の原体験が根底にあります。

■ 大量消費の現場で知った、“本当のリアル”

ファミリーマートとのコーヒー開発に携わった経験は、粕谷さんに大きな気づきをもたらしました。1日数十万杯規模で展開される現場では、品質、供給量、コストの全てがシビアに問われます。

「もっといい豆を使えば美味しくなる」と簡単には言えない現実。何百トンという豆を安定的に確保し、誰が飲んでもおいしいと思える一杯に仕上げる──そこには、想像を超える努力と工夫が必要です。

そして粕谷さんは語ります。「スペシャルティコーヒーだけが正義じゃない。コマーシャルコーヒーにも役割があるし、それを美味しくすることが、自分の使命だと思った」と。

■ 農園と消費者を“TOMODACHI”でつなぐプロジェクト

粕谷さんが立ち上げた「TOMODACHIプロジェクト」では、エチオピアのタミル農園とタッグを組み、味わいを追求したオーダーメイドのコーヒーを開発。台湾の友人ロースターも加わり、「トロピカルなフレーバーがほしい」といったリクエストを現地の精製プロセスに反映するなど、グローバルな連携が展開されています。

このプロジェクト名には、「生産者も、飲み手も、みんなが“友達”のようにつながってほしい」という思いが込められています。現在では、世界中の複数のショップで“TOMODACHI”という名前の豆が販売されており、国境を越えた共感の輪が広がりつつあります。

■ フィロコフィアのこれから──東京進出への意欲

現在、フィロコフィアは千葉・船橋を拠点に3店舗を展開中。今後は東京にも店舗を構え、「より多くの人がアクセスしやすい場所に、ブランドの体験拠点を持ちたい」と考えています。

「日本に来た海外のバイヤーやバリスタに“どこに行けばいい?”と聞かれて、船橋を案内してもピンとこない。東京に一つ拠点があれば、もっと多くの出会いが生まれるはず」。世界のトップとつながる粕谷さんならではの視点が、次の一歩を後押ししています。


【Part4】“再現性”こそが最大の価値──46メソッドがもたらした革新

Part4では、2016年の世界大会での優勝を契機に生まれた「46メソッド」の考案背景と、それが今なお支持され続ける理由に迫ります。

■ エクアドルの名品と、出会いのきっかけ

動画冒頭で紹介されるのは、粕谷さんが主宰する「TOMODACHIプロジェクト」によるコーヒー。エクアドル・フィンカ・ラ・パパヤで生産されるティピカ・メホラード種は、パパイヤやナツメグ、ブラッドオレンジのような南国の果実を思わせる複雑な風味が特徴です。

このような優れたロットとの出会いの多くは、「紹介」から始まると語る粕谷さん。世界チャンピオンという肩書きが、生産者との距離を縮める大きな後押しになっていると明かします。実際に農園を訪れた上で信頼関係を築き、共に取り組むのが「TOMODACHIプロジェクト」の原点です。

■ 世界を変えた「46メソッド」の真価

粕谷さんの代名詞とも言える「46メソッド」は、コーヒー抽出においてお湯の投入を40%と60%に分けるというユニークなアプローチから名付けられました。前半で味の輪郭をつくり、後半で濃度を整える──その設計思想は、感覚的だった抽出を数値ベースへと進化させ、誰もが美味しいコーヒーを再現できる方法として大きな反響を呼びました。

さらに粕谷さんは、「落とし切ってから次を注ぐ」という手法にもこだわりを見せます。抽出効率を高め、より透明感のある液体を目指すこの手法は、当時の大会でも異例。現在では世界中のバリスタたちに取り入れられるスタンダードとなっています。

■ 技術よりも「均一性」を重視する理由

動画内では、フィルターのリンスや粉の移し方といった工程も丁寧に解説。手でフィルターを押さえて湯通しするなど、「毎回同じ条件をつくること」を徹底する姿勢は、粕谷さんの信念そのものです。

「再現性の高さは、品質の安定につながる」と語る彼の哲学は、プロのバリスタだけでなく、家庭で抽出する人々にもヒントを与えてくれます。

■ 誰でも真似できる、だから広がる

抽出に使われたコーヒーは、20gの粉に300gの湯を使う46メソッドの基本形。注ぎの技術を必要以上に語らず、「数字と工程さえ守れば美味しくなる」という姿勢は、コーヒーの民主化とも言えるものです。

今回のロットは、軽やかで綺麗な甘さがありながら、ほんのりとスパイシーさも残る奥行きのある味わい。エスプレッソにしても魅力を発揮するその完成度の高さに、粕谷さん自身も太鼓判を押しています。


【Part5】進化し続ける抽出メソッドと、すべてのコーヒーラバーへのメッセージ

最終回となる本編では、彼がいま取り組む“新たな抽出アプローチ”と、これからのコーヒー業界を目指す人々に向けた熱いメッセージが語られます。

■ 競技の現場で磨かれた“新たな抽出法”

この回で紹介されるのは、2023年ジャパンブリュワーズカップの決勝でスタッフが使用したエチオピア産のティムナチュラル・プロセスのロット
テロワールの特徴を際立たせる発酵プロセスが施されたこの豆は、ラズベリーやストロベリーを思わせる濃密なベリー系フレーバーと、複雑で芯のあるアロマが印象的です。

抽出には、粕谷さんが現在試行錯誤を重ねている46メソッド進化版が使われました。従来よりも初期の注湯量を抑え、アロマ成分の引き出しに集中するこの手法は、ハリオスイッチなどの浸漬式ドリッパーとの相性も抜群です。

■ 「自己否定」から生まれた進化

粕谷さんはこの新たな手法を、「46メソッドへの“優しい自己否定”」と表現します。
誰もが簡単に再現できることを重視して設計された46メソッド。しかし、「もっと香りが引き立つ方法があるのでは?」という疑問と探究心が、さらなるメソッドのアップデートを導いたのです。

この進化の背景には、“アロマは制御できない”という従来の常識への挑戦があります。抽出初期の注湯量や湯温、時間配分を見直すことで、ブリューワーが香りの表現にも関与できる可能性が広がってきているのです。

■ 日常の“気づき”から生まれる革新

このメソッドのヒントになったのは、なんと一般ユーザーからの質問。ハリオのセミナーで投げかけられた、「スイッチドリッパーをもっと活用できないか?」という素朴な疑問が、粕谷さんの着想を刺激しました。

「四六時中、コーヒーのことを考えている」と語る粕谷さんは、日常のなかであらゆる物事をコーヒーのフィルターを通して捉え、新しいアイデアを生み出しています。

■ 若いバリスタたちへのリアルな助言

終盤では、これから業界を目指す人々へのアドバイスも。
「何を目指すかによって、捧げるべき時間や覚悟は変わる」と語り、競技会やビジネスで結果を出すためには、“何かを犠牲にしてでも打ち込めるかどうか”が重要だと強調します。

また、お店を運営するなら「おいしく淹れること」だけでなく、「数字を見る力」「持続可能性の視点」が不可欠であるとも述べ、職業人としてのリアルな視座を提示しました。

■ “マスの人々”へ届けたい、コーヒーの楽しさ

最後には、2024年に発売された著書『図解 コーヒー1年生』についても紹介。
スーパーで手に入るコーヒーの選び方や、美味しい淹れ方など、スペシャルティではなく“マスコーヒー層”に向けた入門書であることが語られます。

「日本人の9割以上が、なんとなくコーヒーを飲んでいる。その人たちが“自分の好き”に気づけるようにしたい」と語るその姿勢には、業界の枠を超えた視野と使命感がにじみます。

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